Yさんと駆け抜けたukka最後の4か月

Nさんの軽口が、Yさんのその後の運命を、ここまで変えることになるとは誰も思わなかっただろう。

Nさんはニヤニヤと笑いながら、私とYさんにこう言ったのだ。
「2月のukkaの舞浜フリーライブ、終わった後、ディズニーシーで飲みましょう。おじさん三人で、あそこで飲むのも楽しいと思うんですよ」
Yさんは、この軽口を真に受けてしまった。そして、走り出してしまった。

Yさんは、MUSiCフェスでukka(当時は桜エビ~ず)を見て感銘を受け、最初のALLOUTにも参加した人である。その後も毎回ではないけれども、定期的にukka現場に来て、しかも特典会に参加せずに帰る硬派な友人であった。
Nさんは、ALLOUTから茜空の沼に沈み込み、ukka現場にいつもいる存在、所謂「おまいつ」となった。

Nさんはたぶん、「5月24日にukkaの解散が決まってしまったし、もっと現場に来てくださいよ」という程度の意味合いで言ったのであろう。しかし、この言葉は思わぬ波紋を生み出したのだ。

ヲタクを待ちながら

2月、舞浜にたどり着いた私を見つけたYさんは、私を見て一言「Nさんいないけど?」。そう、この日Nさんは舞浜に現れなかったのだ。

そうなると、予算の余剰が生じる。安くないディズニーシーへの入場を見越して、財布には余裕があった。

余った予算はどこへ行ったのか。なんと、特典券に化けてしまったのだ。今まで特典会なるものに足を踏み入れたことのなかったYさんが、余った予算を出来心で特典券に回してしまったのである。推しの結城りなさんと、人生初のツーショットを撮るために。

友人の人生初の特典会となったら、私も協力せざるを得ない。
私も結城りな列に並び、しかもYさんの一つ前で結城りなさんとツーショットを撮影。その後、私は彼女に語りかける。
「実は、次の人は私の友達なんだけれども、人生初のアイドルとのツーショットなんだよね」
結城りなさんは驚いたように、嬉しそうに、
「えー本当!」
と笑った。
「うん、だから優しくしてあげてね」
「どうかなぁ、厳しくしちゃうかも」
悪戯っぽく笑う結城りなさんの顔を見て、きっとYさんの人生初のツーショットは素敵なものになる予感がした。
去り際に少し振り返ると、なにやら楽しそうにYさんに話しかける結城りなさんの姿が見えたのであった。

Yさん曰く、「緊張で心臓が止まるかと思った」
そして、この瞬間からYさんの想いは加速していく。

足を溜める3月

Yさんの職業は税理士。そのため、年度末が最大の繁忙期。さすがに彼もライブに行く余裕がないだろうなぁと思いながら、私はukkaを追いかけ続ける日々。

3月15日は「B.L.T. W LIVE PARTY 2026 SPRING」と「GIG TAKAHASHI」という二つのイベントの二本回し。
新宿でライブと特典会に参加し、神田方面へ地下鉄で移動、二本目のイベント会場に足を踏み入れところ、見慣れた友人の姿が。
Yさんが照れたような笑顔でこちらを見ていたのだ。早い時間の新宿は無理でも、夜の神田にはなんとか間に合わせられたとのこと。

この日もukkaは最高であった。新たな楽曲リリースがなくなったため、セトリに「新曲を入れなければならない」という縛りもない。
ukkaの魅力を伝えるためだけのセトリは楽しく、幸せな時間であった。
そして特典会にも参加せずに、終わらぬ仕事のためにダッシュで帰宅するYさんの姿も印象的であった。

3月20日、ラゾーナ川崎でのフリーライブ。
子どもを連れて、雨が降ったりやんだりの現地に到着。
川崎駅前でテイクアウトしたマクドナルドを親子で食べ、いざライブへ。
この日のライブもukkaは最高。子どもも楽しそう。
そして、特典会開始までの待機時間に、YさんとNさんと合流。
Yさんは子どもと積極的に遊んでくれる。子どももあっという間にYさんに懐いて、自分からちょっかいをかけるようになった。子どもの少し乱暴なスキンシップにも笑顔で応じる、ありがたい友人だ。
特典会の待機時間に会場にいたということは、もちろんYさんも特典会に参加し、結城りなさんと写真を撮ったのであった。

3月27日、妻子の冷たい視線に耐えながら、沖縄に飛ぶ。
解散告知前に決まっていたukka沖縄2days公演、まさかこんな複雑な心境で迎えるとは。
4月前ながらも、Tシャツで過ごせる気温。
セトリも空気感も、ukkaと過ごす夏というコンセプトが感じられるものであった。
先取りした夏、5月に解散するukkaと夏は越えられなかったけれども、ukkaと夏を過ごした、そんな二日間。

Yさんは、沖縄には来なかった。繁忙期、日程が見通せない中、無茶はできなかったようだ。

加速する4月

スタートダッシュ

4月に入り、ukkaもラストに向けて加速する。それに合わせて、Yさんも加速していく。

4月4日、立川立飛でのフリーライブ。
Yさんはその日、結城りなさんとのツーショットのみならず、「心理じゃんけん」というゲームに挑戦していた。
いつの間にか、特典会をエンジョイするヲタクになっていたのである。
翌5日も大宮でukkaのフリーライブが開催されたが、当然のようにYさんは二日連続でライブと特典会を満喫していたようだ。

ぐんぐんと加速する

4月9日、ukka結城りなさんの誕生日。トークポートというアプリを使ったオンラインお話し会が開催された。
私も、彼女にハッピーバースデーの歌を聞かせて祝福。Yさんも人生初のオンライントークに挑戦していたようだ。

4月11日、私は豊洲のフリーライブに、妻子含めて三人で訪問。いつも子どもがお世話になっているYさんには、妻も丁寧に挨拶。恐縮するYさんの姿も、とても微笑ましかった。

妻もいるので、ライブ後に子どもと一緒にツーショットを撮影して、早々に帰宅の途についた私であったが、特典会を待つYさんの姿には、どこか貫禄さえ感じられるようになっていた。

翌12日は埼玉新三郷でのフリーライブにも、やはりYさんの姿があった。
ライブ後に私が
「次は仙台でお会いできますかね」
と尋ねたところ、Yさんの回答は、
「坂本真綾の有明2daysのチケット確保しちゃったんですよ。
しかも、二日間全部で完結するライブらしくて」
というもの。
「そっか、じゃあ、次はツアーですかね。
また、会いましょう」

4月15日はukkaとYosugalaのツーマン。私立恵比寿中学とのツーマンは残っているが、外部対バンは最後。私は諸事情でチケットをNさんに託し、Nさん経由でYさんのもとへ。Yさんは仕事をギリギリ切り上げて、ライブに滑り込み、特典会も楽しまれたようだった。

4月18日は仙台EBeanSでのフリーライブ。仙台に着いた時に秋田在住の友人に連絡したところ、彼はNさんとYさんと仙台朝市で食事をしていたとのこと。あれ、Yさんは有明ではなかったのか。どうやら彼は仙台から東京の有明まで現場を回すツワモノに成長してしまったようだ。

ukka仙台ライブは、明らかに「ラスト東北」を意識したものであった。
「Believe」で開幕し「TAiLWiND」に繋げるのは、これまでの道で支えてもらった人たちへの感謝と、これからもファンを応援する気持ちが変わらないことを伝えるものであっただろう。
もちろん、しんみりして終わらないのもukkaらしさ。「ラブパレード」「まわるまわる」「リンドバーグ」は、楽しく熱いukkaを仙台の地に置いていくものだった。屋上の解放感、東北の空に消えていくシンガロングやメンバーの名前コールは、忘れられない場面となった。

Yさんはギリギリまで特典会を楽しみ、その後、有明で坂本真綾さんのライブも楽しんだようだった。

ちょっとした後悔

4月20日は、ukka期別ライブと題されたイベントで、第一部は宮沢友、若菜こはる出演のライブ。第二部は、結城りな、葵るり出演のライブ。第三部は、村星りじゅ、茜空、芹澤もあのライブ。真っ当な社会人のYさんは、平日の早い時間の一部のライブには来れなかったようだが、私は一部から参加。宮沢友さんと若菜こはるさんの成長に感動しつつ、ukkaでの成長がもう見られない悔しさで涙が止まらなかった。

二部にはYさんも合流。りなるりライブは、初手「WINGS」で涙腺崩壊、最後のお互い宛の手紙を読み合うシーンでさらに感動を追い打ちする展開、こちらも涙が流れるライブであった。この感動が、また次の波紋を生み出すことになるのだが、この時点ではそのことに誰も気づいていなかった。

三部は「桜エビ~ず(本物)~10年来のクラスメイト~」と題されたライブで、オリジナル曲が少なかった時代にカバーしていた曲中心のライブであった。濃いライブであったが、かつての「桜エビ~ず」への思い入れが強い人へのお別れの挨拶とも言えるライブであったようにも感じられた。

4月26日はファンクラブバスツアー。そこにYさんの姿はなかった。
後日会った際にYさんは、

「チケット募集の段階では、ここまでの熱量が生まれるとは思っていなかった。今なら絶対参加したはずなんですが」

と悔しそうだった。
沖縄ライブに来れなかった際にはそれなりにサバサバしていたYさん。沖縄後の一か月を走り続けたら、Yさんはバスツアーに来れなかったことを後悔するほど、ukkaへの熱量が高まっていたのであった。

全力疾走

翌日の4月27日、東名阪ツアーの開幕戦、平日月曜日ということでYさんは一部には来れず。私は一部から参加。

第一部は「Spread Your Wings」というタイトルで、「WINGS」始まり。シンガロングしながら涙がこぼれ出し、最初から最後まで涙が止まらないライブとなった。
「Re:RAY」と「嘘とライラック」で本編を終わらせるのは、もう反則と言っていいのではないか。「嘘とライラック」の落ちサビ、「君を忘れない いつまでも」という村星りじゅさんの絶唱は、心に突き刺さり魂を震わせた。

二部開演前にYさんと合流。顔を合わせて最初の会話が、特典券についてだったのが、面白かった。いつの間にか、特典券を買うのが当たり前になっていて、会話でも何の疑問も差し挟まれない。

二部は、ストロングスタイルのukkaであった。とにかく熱く盛り上がる曲を連続で叩きつける。楽しい、幸せな時間が続く。しかし、ラストメッセージブロックで再び涙を止められなくなる展開に。「ukkaを忘れないで」というメッセージのからの「時間。光り輝く螺旋の球。」~「透明」~「つなぐ」という本編ラストの流れを前にしては、涙をどうしようにもできなかった。

二部制ということで、短めのライブになるかと思ったところ、両部合わせて延べ42曲披露されるという、大ボリュームだったことも、嬉しい誤算だった。

中二日おいて4月30日は、横須賀での野外ライブ。メンバーが特にやりたいと希望していたライブであった。

横須賀で18時開演のライブ、普通に都内で働いていたら間に合わない。しかし、Yさんは仕事帰りの格好で開場時間に現れた。
仕事をどうしたのかなんて、私も、一緒にいたNさんも聞かない。ここに来たということが大事で、どうやって来たとか自慢げに語ることもない。

ライブは、「ukkaが野外ライブをやったら、こんなライブになりますよ」というライブだった。
お別れの挨拶というよりは、野外に映える楽曲と演出で、野外でも楽しいukkaの可能性を見せてくれる、そんなライブ。来年も、再来年も、定例化した野外ライブを楽しみたかった…
「灼熱とアイスクリーム」、「can't go back summer」を聞けて、沖縄に行けなかったYさんも、ukkaとの夏を感じれただろうか。そうだったらいいな。

ラストスパートは鮮やかに

たまには違う特典列で

5月ゴールデンウィーク、孫の顔を親に見せるというミッションのため、私は実家のある千葉県へと帰省した。
そのため、5月2日には「ukka春の大特典会まつり」が開催されたが、私は参加できなかった。

私は、一つの企みをもって、Yさんに代行を頼んだ。私の推しである村星りじゅさんの私物サイン会をお願いしたのである。
Yさんの推しである結城りなさん以外との接触が、彼にどんなインパクトを与えるのか、ちょっと知りたくなったのだ。

同じことをNさんも考えていたらしく、Nさんも「茜空さん、Nさん、Yさん」のスリーショットを敢行したとのこと。
Yさんから来る、依頼完了の簡単な報告を読みながら、直接話を聞くことが楽しみになった。

ただ、イベント自体は大混乱で終了し、後味が悪いものになったらしく、残念であった。

りじゅさんいい人

5月9日東名阪ツアー名古屋公演。Yさんは電気グルーヴのライブのチケットを確保していたが、しかも譲渡不可のチケットでありながら、それを捨てて名古屋にいた。
私を見たYさんは開口一番、「りじゅさんいい人」と一言。そして、村星りじゅさんが優しく丁寧に、いろいろ話しかけてくれたことを感動の面持ちで、早口に報告してくれた。そこには電気グルーヴのライブを断念した無念さは微塵も感じられなかった。なんか凄い。
「私もりじゅさんと写真撮りたくなりました」
しかし、ツアーでは無理だろうと私も分かっていた。
「でも、2Sが2枚というこのツアーのレギュレーションだと、推し以外と撮れないですよね」
という私の言葉に、
「そうなんすよ」
とYさんは頷いた。
残念ながらツアー中にYさんがりじゅさんと2Sを撮る機会はなさそうであった。

この日の私の目標は泣かないことだったが、やはりダメだった。
一部ラストの「嘘とライラック」で涙を堪えることは無理だったし、「つなぐ」が紡ぐメッセージには自然と涙がこぼれてしまう。
名古屋では「ラブパレード」から「つなぐ」という流れになったことで、「未来の柔らかさ」を私はより信じられるようになった。

未来は決まった硬いものではない、思いをつないでいけば柔らかい未来でまた会える。
別れの歌だけれども、送り出す歌ではなく、再会の未来へと希望をつなぐ、柔らかい未来への祈りの歌。

その祈るような想いの強さに、私は涙することを止められなかった。

帰りの新幹線で、私とYさんNさんは三連シートに並んで、名古屋から新横浜まで、ずっとukkaについて、そのライブの素晴らしさについて語り合ったのであった。

熱狂と現実の狭間で

5月12日は、私立恵比寿中学とukkaのツーマンライブであった。えびちゅうを通じてukkaを知った多くの人間にとって、この日はukkaの活動のハイライトになる日だと感じる人は多かっただろう。私も、そしておそらくYさんも、強い期待を持ってZepp Hanedaに向かった。

整理番号が100番台だった私とNさんはステージから数えて二つ目の柵の中央二列目に陣取り、200番台だったYさんは私たちの少し後ろに滑り込んだ。
Zepp Hanedaはステージが高く、この位置取りで十分視界が確保されていたし、下手なホール前方よりもメンバーの姿が近く見えるものであった。

ukkaの入場曲である「We are」と、私立恵比寿中学の入場曲「ebiture」がMIXされたオープニングで、あっという間に会場のボルテージが最大に。そして、両グループによる「えびぞりダイヤモンド!!」が披露された。この曲は両グループの歴史に重要な役割を果たした楽曲で、私立恵比寿中学にとっては初のオリジナル曲、ukkaにとってはオリジナル曲がない時代に何度もカバーした曲であった。このツーマンに相応しい幕開けに、この夜が最高の夜になることを私は確信した。

一曲コラボした後は、えびちゅうのステージとなった。代表曲「仮契約のシンデレラ」の後に披露された「梅」の段階で、私は確信した。今日のえびちゅうは、オールスタンディングのフェスやライブハウス仕様のえびちゅうで、熱量で押しまくるつもりだ。勝手に私は心に誓う、これは熱狂で返すべきだろう、と。その後の熱いえびちゅうのライブに対して、私や、私の周りのukkaのヲタクたちは、熱狂し、声を出し、ステージへ熱量を返した。えびちゅうメンバーが「みんな熱いねぇ」と嬉しそうだったのは、えびちゅうの本気でぶつかったステージに対して、こちらもしっかり熱量で応えられたからだと、個人的には感じられた。

ukkaのステージは、桜えび~ず初期の代表曲で、8年前のえびちゅうとのツーマンでも歌われた「オスグッド・コミュニケーション」からスタートした。こちらも、熱量で押し切るつもりだ。力の限り、声の限り、ukkaの出力する高火力の楽曲に応える。ステージとフロアの熱量は、ukkaが初見だったかもしれないえびちゅうファミリーを巻き込んで、Zepp Hanedaを包み込んだ。

凄いライブだった。えびちゅうが最大限のエネルギーをぶつけ、ukkaも真っ向から迎え撃つ。アンコールの「頑張ってる途中」のコラボまで、一瞬たりとも緩まない、強度の高いパフォーマンスは、今日を待ちわびていたすべてのファンを満足させるものであっただろう。

熱狂に満ちたライブだったが故に、同時に現実の残酷さがはっきりと現れるライブともなってしまった。これだけのライブをする両グループなのに、片方にはもう未来がない。ツアーファイナルと、ラストライブしか残されていない。熱狂の裏腹にある残酷な現実のコントラストは、私やYさんを打ちのめした。私の隣にいたNさんも終演後に涙を止められず、しばらく顔も上げられない様子であった。

「少しずつスケジュールが減っていっても大丈夫だったの、えびukkaがあるって心の支えになってたんすね…ビックリするくらい落ち込んでます」
賑やかな感想戦の後、駅に向かう道すがらポツリとこぼした私の言葉に、Yさんも深く頷く。
「キツいっすね」
どちらが発した分からない言葉は、終電間際の夜空へと消えていった。

あなたがYさんなのね

どんなに落ち込んでいても、時間は止まってはくれない。4日後には、5月16日の東名阪ツアーファイナル大阪公演がやって来る。沈んででばかりもいられないと、心を奮い立たせながら、私は大阪に向かった。

3公演を重ねると見えてくるものがある。1部、M2. 「ファンファーレ」、M3. 「TAiLWiND」、M11. 「Aonity」、M12. 「Rising dream」、M17. 「Re:RAY」、M18. 「嘘とライラック」、EN1. 「Party goes on.」、EN3. 「Believe」がセットリストに固定されていた。ここがラストメッセージの核となり、その日にスピーチを流すメンバーに合わせた楽曲などを組み合わせる。

ラストメッセージは、冒頭のLa La Laをステージとフロアで一緒に歌った、「Party goes on.」に顕著に表れているだろう。

チクタクと時計は/回り続けるけど/永遠に今 続いたらいいね/「また会おう」「約束」「オッケー」/夜更かししながら感じたこのきずな/照れるけど大切にしよう
(中略)
まだまっさらな五線譜/夢まで続くメロディー/(Yeah Yeah Yeah)/変わらないって決めたんだ

ukkaが残した楽曲はいつまでも残り続ける。メンバーの想い、ファンへの愛は決して変わらない。再会の未来への祈りにも似た約束。冒頭をフロアも一緒に歌うことで、約束はメンバー同士だけでなく、そこで一緒に歌ったファンとの約束にもなるのだ。
ukkaメンバーも、私たちも、忘れないでそれぞれの未来を繋いでいけば、柔らかい未来が待っている。

特典会を終えて、感傷的な気持ちになりながらも、未来への祈りを希望に変えて少しだけ上向いた気持でいると、少し困惑した表情のYさんが目に入った。Yさんと一緒に近場のファミレスに入ると、Yさんが説明を始めた。

「特典会の動画なんですが…」
特典会の動画とは、メンバーのお見送りを動画に撮影できるというもの。この動画で、メンバーの葵るりさんが「あなたがYさんなのね!」と叫んでいるというのである。果たして私が見ても、葵るりさんはYさんの名前を呼んでいる。
「え…なんで?名乗ったこともないのに…」
この戸惑いが、Yさんのアクセルをさらに踏み込ませることになる。
Yさんは、どんどん加速していく。

大阪の第二部も、当然ながら最高のライブであった。

ukkaのライブは熱くて最高。
ukkaのことを忘れないで。この音楽が、いつまでもあなたに寄り添えますように。
未来は柔らかい。想いはつながるよ。

ラストメッセージを確かに受け取った、そう私は思った。
大阪に一泊するYさんと、最終の新幹線で東京に戻る私は、ほとんど言葉を交わす時間もなく、別れた。
ただ一言、「また明日」。

りじゅさんと一緒に撮りませんか

ツアーファイナル大阪の翌日は、「ukka春の大特典会まつり」の追加開催の日であった。5月2日の大特典会がオペレーションの失敗で特典券を大量に残して強制終了してしまったため、仕切り直しとなったのである。

大阪から戻ってきたYさんも、私も無事に特典券を確保。ちなみにYさんは、急遽入った大特典会追加開催のために、ナゴヤドームの試合のチケットを捨ててきたらしい。いったい、どれだけのチケットを投げ捨てて、ukkaとともに走ってきたのやら。
それはともかく、開始時間まで時間があるため、Nさんも交えて、昼食のために中華料理屋に入った。

そこでYさんは、おずおずと私に
「りじゅさんと一緒に撮りませんか」
と切り出した。
ukkaの特典会では、ツーショット分の特典券をファン二人が同時に出すことによって、ファン二人とメンバーのスリーショットの撮影が可能であった。Yさんは、自分と私、そして村星りじゅさんとのスリーショットの撮影を提案したのである。
もちろん異存があるわけもなく、二つ返事で私は承諾した。

一部開始時間に会場に戻った私は、まずグループショットの列に並んだ。最後のグルショのチャンスを逃すわけにはいかない。

グルショをと撮り終えた私は、村星りじゅさんのツーショットの列に並ぼうとしたが、なぜかYさんの姿が見当たらない。
不思議に思って姿を探すと、葵るりさん、結城りなさんとスリーショットを撮影するYさんの姿が見えた。
そうか、名前を呼ばれちゃったら、写真を撮りたくなるよね。
ひとり納得する私であった。

その後、村星りじゅさんと私とYさんでスリーショットを撮影。その合間に私は、Yさんのことを村星りじゅさんに売り込む。
「この人に、サイン会の代行をたのんだのだけれども」
菩薩のような笑みで、覚えてますと頷くりじゅさん。
「リリイベとかで、いつも子どもの面倒を見てくれるナイスガイなんですよ。本当にいい男です」
優しい目でYさんをみる村星りじゅさん。この柔らかな空気こそ、彼女の真骨頂だと、個人的に思っている。

特典会1部終了後、私、Yさん、Nさんの三人は、喫茶店に入って休憩をとることにした。
そこでYさんは、葵るりさんに名前を呼ばれた件の真相を教えてくれた。

りなるり同期ライブを見て熱が高まったYさんは、インターネットサイン会で葵るりさんのチェキを注文した。
そこで葵るりさんは、見慣れない名前に「誰だろう?」と思い、結城りなさんに話を聞いたらしい。
そして、大阪の動画撮影お見送り会で顔と名前が一致して、葵るりさんは思わず声をあげたということのようだ。

二部では、結城りなさんの他に、葵るりさんからもサインをもらい、りなるりサインを完成させたYさんは満足そうであった。

Yさんは、翌日のインターネットサイン会でもりなるりのチェキをゲットし、週末のオンラインお話し会でもりなるり枠を確保していた。2月におずおずと結城りな列に並んだYさんは、結城りな推し兼りなるりファンとして、鮮やかにラストスパートを決めたのである。

途切れたその道の先に

2026年5月24日、ukkaは解散した。
2025年12月末に発表された日程通りに。
ukkaというグループが歩んだ11年の道のりは、志半ばで途切れることとなった。

しかし、解散ライブは決して感傷的なものではなかった。
むしろいつも通りのukkaを、その時点での最高のukkaを見せてくれるライブであった。

序盤から熱い曲とパフォーマンスでフルスロット、ステージとフロアで熱量を高めあう、いつもの、最高のukkaであった。
ダブルアンコールまで駆け抜け、最後の最後に自由で最高に楽しい「リンドバーグ」を置いて、ukkaは終わった。
熱く、そして感動的なライブであり、ツアーに来れなかったファン、最後くらいは見ておきたいと思ったファンもきっと満足できる内容だったと思う。

しかし個人的には、東名阪ツアーをukkaと伴走したファンだからより伝わる部分があったとも思う。
終盤の入り口に置かれた、M15. 「Believe」~M16. 「Re:RAY」~M17. 「ボクエール」は、ツアー第1部でメッセージの核となった二曲に、「ボクエール」が加えられたもの。

「Believe」の歌詞には、以下のような部分がある。

信じてるんだ 涙の向こうへ/長い夜の向こうへ 朝日差す その日まで
夢の先に続く 路の途中で/いま わたしたちは 輝いてる

夢の先に続く道は途切れてしまったようにも見える。

しかし、それでも「Re:RAY」でも

約束しよう ぎゅっとしていよう/重ね合わせ 愛になったよ/君との未来を 照らすRe:RAY/離さないでね?/君との未来を 繋ぐRe:RAY

と語る。未来を繋ぐことはできる。忘れないで、ukkaの楽曲が寄り添ってくれることを。ukkaの楽曲は、君の背中を押すから。さあ、途切れてしまった道の先へと踏み出そう。きっと未来は繋がるから。

きっと大丈夫って さぁ胸張って進もう/ワン・ツー・ステップ 「君ならできる」/へい!へい!へい! 勇気を出して/へい!へい!へい! はじまるストーリー

僕たちが、僕たちのストーリーを進めたその先に、途切れたはずの道が、繋がる未来を夢見て。
さあ、柔らかい未来に向かって、自分のストーリーを始めよう。

泣いたり、シリアスなはずなのに不思議とコミカルになってしまう場面で笑ったり、感情がたくさん動いたライブだった。
間違いなく言えるのは、最新のukkaが最高のukkaであることを証明するライブであったということだ。

熱く素晴らしいライブだったが、Yさんは少しだけ悔しそうだった。
YさんはS席でライブを見ていた。
チケット発売時の熱量では、S席で大丈夫だという判断だった。
しかし4か月を駆け抜けた後のYさんは、S席の熱量では物足りなくなっていた。
S席ですべてを燃やし尽くしながらも、SS席の熱量が少し羨ましかったらしい。

悔しそうなYさんを見ながら、私はそれでも嬉しくなった。

こんなに爆発的に熱量を上げて駆け抜けて見送ってくれる人がいること。そして、そのような人がいることが、ukkaがそれに相応しい魅力にあふれたグループだったことの証明になるから。
Yさんと駆け抜けた4か月は、本当に楽しかった。
ありがとうございました。
必ず、また、どこかで。