舞台「また来てマチ子の、愛をもう止めないで」を観てきました

私立恵比寿中学小林歌穂さんが主演する舞台、「また来てマチ子の、愛をもう止めないで」を観てきました。遅ればせながら、舞台の感想について書きたいと思います。

あらすじ

この舞台は、マチ子の恋をめぐる騒動を描く前半と、彼女の兄夫婦であるタモツとカオリの関係修復を目指す後半に分かれます。

酒屋の大将をモデルにしたアンドロイド「ショウショウ」によってマチ子の恋の悩みは癒されることになるのですが、この「ショウショウ」が暴走してタモツとカオリの仲を引き裂こうとします。

ショウショウの暴走を止めるために、一同は時の神の力で時を巻き戻そうとするのですが、マチ子がそれを拒否。「生まれてきたことを、なかったことにすることはできない」とマチ子は懸命に主張します。

マチ子の思いに打たれたショウショウは、もう手遅れであることを告げ、自ら時の神の賽銭箱に小銭を入れ、時を巻き戻します。

ショウショウの思いが残っている結果か、マチ子の恋をめぐる騒動も起こらず、カオリはタモツに妊娠を打ち明け、話は大団円を迎えることになります。

詳しいあらすじに関しては、あとむさんのブログがよくまとまっていますので、こちらもご参照ください。

uya-muya-output.blog.so-net.ne.jp

ドラマ版との関係

この舞台はドラマ「また来てマチ子の、恋はもうたくさんよ」の続編という位置づけになります。そのため、ドラマを見ていないと分からない小ネタもたくさんありました。*1

しかし、小ネタというレベルだけではなく、話の構造という点で、舞台はドラマ版と対になっていると言えるでしょう。

ドラマでも、マチ子の恋が導入でしたが、導入部以降はタモツとカオリを結婚させるために時間をやり直しながら奮闘する物語で、家族の絆が重要なテーマでした。

舞台でもマチ子の恋を導入としながら、最終的にはタモツとカオリの関係を軸に家族の愛を主題とする物語となっていきました。

 話のつくりは同じですが、その内容は対照的になっています。

  • ドラマ版では時間を何度もやり直すが、舞台版では時間をやり直すことを拒否する。
  • ドラマ版ではマチ子がハブに咬まれて死ぬ描写があり、時間の巻き戻しは死を免れるきっかけになる。舞台版ではカオリの妊娠が発覚しており、また時間の巻き戻しはショウショウの誕生がなかったことにされる。

ドラマ版では「時間の巻き戻し=生のやり直し」となっているところが、舞台版では「時間の巻き戻し=誕生の無効化」と正反対の意味をもつことになります。そしてドラマ版では「死」が影を投げかけていたのに対して、舞台版では「誕生」が隠れたテーマとなっています。

同じ話の作りでありながら、ドラマ版と舞台版が対になるように正反対のものを扱っている、というわけです。舞台版が対になることで、ドラマ版を補完するものとなっていますし、ドラマとは異なる奥行きをもった物語となったと言えるでしょう。

ドラマ版との違いが生み出すもの

ドラマ版では、マチ子は死の未来を免れ、家族との未来を生きることになります。もちろん現実はやり直しがききません。しかし、フィクションではやり直し、生き直すことができます。フィクションを通して、あり得たかもしれない人生、あり得なかった未来をたどることができます。ドラマ版では、このフィクションのもつ力が大きな意味をもっていました。

しかしそうなると、フィクションとは違う、巻き戻せない一回限りの人生を生きる現実はどうなるのでしょうか?この問いに答えるものとして、舞台版があるのではないでしょうか。

時間を巻き戻してしまうと、起こったこと、生まれたもの、そういったものがなかったことになってしまう。だから時間を巻き戻すのではなく、失敗しながらでも進んでいくのだ、ということを舞台版でマチ子は主張します。残念ながら、手遅れであったために時間を巻き戻すことになりますが、すべてがなかったことにはならず、想いは残ってささやかなハッピーエンドを迎えたのでした。

ここで、物語の最初と最後に客席にマチ子が現れた意味が明らかになります。舞台の外側で語るマチ子は、物語を外側から眺める視点をもち、物語について語る人物です。物語の始まりに客席から「劇場みたい」と語り、最後にも「どんなに繰り返しても残るものがある」と語ります。彼女は物語の外側から、フィクションのもつ意味を語るのです。フィクションとして現実を生き直し、やり直すことは、無駄ではない。そうした物語は何らかの形で現実に影響を与え、現実を豊かにするのです。

舞台の外側で語るマチ子は、客席にいる客に同意を求めます。それはフィクションがフィクションを越え、現実に浸食していくことを象徴しているのです。

現実の人生は一回限りでやり直すことはできません。死んだ者は還っては来ないし、生まれてきたことをなかったことにもできません。物語は繰り返され、現実とは違った可能性を指し示します。それははかなく消えてしまう、夢のようなものかもしれません。しかし、すべては消えず、私たちは新しい形で現実を引き受けることになるのです。フィクションを通して、私たちは一回限りの人生を、豊かな意味をもったものとして生きることができるようになるのです*2

演技について

ファンの贔屓目もあると思いますが、主演の小林歌穂さんの演技は素晴らしいものでした。とりわけ、終盤に感情を爆発させるシーンの演技が印象的で、観ていて思わず涙が出てしまいました。

他の出演者の皆さんも素晴らしい演技でしたが、個人的には風間さなえさんの演技に惹かれました。コミカルなシーンの演技はもちろん、繰り返された世界で寂しげにたたずむ姿、同じように繰り返されるのではなくポジティブな変化があったことを喜ぶ姿、とても素敵でした。

最後に

グダグダと考察を加えましたが、理屈抜きに面白い舞台だったと思います。この舞台に関わったくれたすべての人に感謝したいと思います。そして、できれば、何らかの形でこの舞台がもっと多くの人の目に触れられるようになることを願っています。円盤化、再演、続編、何らかの形でまたマチ子に触れられると嬉しいです。